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ゆるし

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 人は誰もが思春期から大人になる頃には、自分の価値観が明確になるように思います。職場などの組織にいると、自分とは異なる考え方の人に出会うことがあります。時には戸惑い、対立してしまうことがあるかもしれません。

 私は詩人として、詩の賞の選考をすることがあります。昨年はコロナ禍のため、メールによる対面ではない選考会の討議が行われました。その過程では選考委員による価値観の違いがより複雑に交差し、意見交換がスムーズにいかないなどの苦い経験をしました。時には納得のいかないような価値観の違いも感じました。Sさんはそのお一人でした。

 それから一年が経ったある日。私が自宅近くの商店街のコンビニエンスストアで買い物をしていると、見覚えのある男性の姿が店の外を横切っていきました。

〈――あれはSさんでは? なぜここにいるのだろう?〉と思いつつ、私は外に出て、少し離れたところから「こんにちは」と明るく声をかけました。ふり返るとやはりSさんで、傍らの奥様と共に会釈を返してくれました。Sさんは歩み寄り「来年、子どもが通う中学校がこの地域にあり、今から見学に行くもので」と言いました。私はふと、〈今こそ素直な気持ちを伝えたい〉と思い、「昨年は詩の選考で感情的なメールを送ってしまい、すみませんでした」と頭を下げましたすると、Sさんは「いえいえ...」と静かに首を横に振り、ご夫婦は中学校へ続く道を歩いてゆきました。

 人をゆるすことは難しく、時に神様の導きが必要です。私は反省しつつも、Sさんに対して複雑な感情がありました。しかし、奇遇にもSさんの姿を見つけ、自分から声をかけられたことを、私は心から感謝したのでした。