私は単調な仕事や作業を長く続けるのが苦手である。作業を続けるうちに、意識が自分の内に沈んで行き、過去に経験した嫌なこと、傷つけられたことを思い出してしまうからなのだ。
怒りのエネルギーでテンションを上げ、活力を出して作業を捗らせるという器用な人もおられるかもしれない。しかし私の場合は、思い出したせいで再び心が傷つき、気持ちが乱れて、仕事に集中できなくなってしまう。そして自分が心の底では人をゆるさず、恨み続けていることにゾッとして、そんな自分についても悩むことになるのである。
私たちの心の中には、過去の経験が幾重もの層になって積もっている。喜びの記憶は消えやすく、悲しみやつらさほど堅固な層を作るようだ。この地層が思いがけない時に激しく揺れて、深く埋まっていたはずの記憶を甦らせる時には、こんな風に祈ることが出来ればいいと思う。
「どうかこの心の傷が癒えますように、苦しみを乗り越えられますように。人をゆるせない私をどうぞおゆるしください」。
自分に傷を負わせたような人をゆるすのは難しい。積もった地層を掘り崩すのは大仕事だ。でも、ゆるせない自分を差し出すように祈っていると、そんな小さな自分でもゆるされて生きている、という思いがどこからかやって来る。しかもずっと昔から、自分たちは皆、ゆるされ続けてきたらしい、ということにも気づく。
私たちはゆるされて生きている。それを知って、人は喜びのうちに、本当に生きられるのだろう。そして、よく生きていくことが、ゆるされたことに対する小さな者の感謝なのだと思う。