委ねて生きる時、「本当の平和」が生まれるのかも知れません。
毎日いろんな事が起きます。しかも突然に、予測しない事が、予測しない時に。何とか自分達の力で、それを乗り越えられる時はいいのですが、人の助けを借りなければならなくなると、心苦しく申し訳なくなります。
でも、それが無ければ「お互い様」の心が生まれませんし、「助けてもらって助かった。」の感謝の心も生まれません。よくよく考えると、それでいいのだと思います。人間は、「助けられて助けて」の繰り返しで絆が深まっていくのだとも思います。
マリア様もお告げを受けた時、理解不能な事ばかりだったでしょう。不安と恐れと、「どうして?」の連続だったでしょう。しかし、すぐに山地にある年寄りのエリザベツの所に行って3カ月も奉仕をするのです。
二人とも神様のみ旨に委ねました。その共通点が、お互いを惹きつけたのだと思います。委ねた者同士にしかわからない何か強い糸のような確信に満ちたものがあったのではないかと思わされます。
人間は誰かの何かのために生きて、はじめて自分の生きていく目標を得、未知の世界に挑戦する事が出来るのかも知れないと思います。
人は神様からこの世での務めを戴いて生きています。それからは逃れられず、抵抗すると十字架は増々重くなり、苦しくなった経験はありませんか?自分の思い通りにしようとすると増々そうならない。そういう時は、反対に全部委ねてみてはどうでしょうか?
自分自身から自分を解放する事で、穏やかさが戻って来るみたいな感じです。
委ねるとは、自我と欲を捨て、自由に任せきれる信仰が必要なのかもしれません。そこには必ず「平和の子」がいるのだと思います。