なにごとにつけても、人の力を借りず、独りぽっちで成し遂げようとすると、少なからず、困難と苦労を伴います。どうしても、だれかに助けを求め、仕事の一部を「委ねざるを得ない」ことがあると思います。
だれに「委ねるか」という、その人選については、慎重な調査が必要です。畢竟(ひっきょう)、「だれに委ねるか」については「信用の置ける人」というのも一つの回答ではないかと思います。それでは「信用の置ける人」とは誰かということになりますが、これまた、即答は極めて困難です。
熟慮の結果、「信用の置ける人」とは「神を信じ、日々の生活を神のみ旨に委ねる人」というのも、一つの回答ではないかと思います。神のみ旨を慮り、み旨にすべてを「委ねる」ことによって、心に何らかの大きな変化が生じると思います。
ここで思い出されるのが50年ほど前に亡くなったアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉です。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることができるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
自分の祈りにしたい、ラインホールド・ニーバーの「変えること、変えられないこと」についての偉大な祈りです。この祈りをすることで、勇気と冷静さ、そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する能力をも与えられることを願って止みません。
それにつけても、日々の生活すべてを、神のみ旨に「委ねる」心を、なお一層強めたいものであります。