「亡くなったひいお婆さんが、まだ赤ん坊だったあなたをいつも抱っこしていた。どんなことがあっても、あのお婆さんがあなたを守ってくれるでしょう」。
幼いころ、母からそう言い聞かされて育った。ひいお婆さんはわたしがまだ一、二歳の頃に死んでしまったので覚えていないが、母の言葉はわたしの心の奥深くに染み込み、子どもの頃のわたしを支えてくれた。「どんなことがあっても、ひいお婆さんが守ってくれるからだいじょうぶ」ということが子どもの頃のわたしを支える信仰だったと言ってもいい。その信仰があったからこそ、いくつもの困難を乗り越え、成長できたのだと思う。
大人になってキリスト教を信じるようになってからは、「どんなときでも、聖母マリアが天国から見守ってくれているからだいじょうぶ」と思うようになった。聖母マリアと、亡くなったひいお婆さんが、並んで天国から見守ってくれているというのが、わたしの素朴な信仰だ。
「目に見えない何かが守ってくれているからだいじょうぶ」という信仰は、わたしたちにとって大きな支えになると思う。現実の世界が八方塞がりで、まるで全世界を敵に回してしまったかのように思えるときでさえ、天国には自分の味方になってくれる人がいる。そう思えたなら、これほど心強いことはないだろう。
「神様が見守っていてくれるから、それだけで十分だ。聖母マリアとか、先祖などは必要ない」という人もいるが、やはり身近な誰かが神様とのあいだにいてくれると思ったほうが安心だ。目には見えないけれど、どんなときでもわたしたちを見守り、わたしたちのために祈ってくれている人たちがいる。そのことを信じたい。