聖書の中で、私が少し不思議に感じている箇所があります。それは、イエスさまが72人の弟子をご自分が行くつもりの町や村に派遣した後、彼らが帰ってきたときに仰った箇所です。
「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。』」(ルカ10・21~22)
神さまのことを町や村に告げ知らせていた弟子たちにとっても、このイエスさまの喜びの言葉は、よく理解できなかったかもしれません。
しかしながら、父である神さまと、子であるイエスさまがしっかりとつながっていること、また、お互いに良く知り尽くした関係であることは、ここからわかります。いわばお互いに「共存共栄」の関わりであったのです。
イエスさまの喜びは、父である神さまの喜びでもあり、イエスさまの賛美は、父である神さまをお喜ばせすることにもなるのです。そして、しっかりとしたお互いの信頼関係のうちに、父なる神さまがイエスさまにすべてをお委ねになったのです。
このような喜びの交わりへと私たち一人一人も招かれています。神さまの御心を絶えず探し求め、それを生きようと望み、周りの人たちへと自らの手を差し伸べる時、父なる神さまとイエスさまとの関わりのように、私たちも、この神さまの喜びの交わりへと入っていくことができるのです。