不安や嫌なことが身辺にあれこれ多発しますと、平素元気な私も暗い気分になりだします。
「共存共栄」という言葉を口にしていた学友がいて、私がイライラしだすと、何故か、大学と並んで建つニコライ堂に私を連れ出すのです。彼は、さりげなく学友の心配事に親身に連れ添うので、「御隠居様」と呼ばれていました。そして友達が元気になると、図書館で勉強しているのです。
お互い社会人となり、数年ぶりに再会すると、弁護士になっていて、あ、やはりなあ、と感動したものです。
さて、自分の20代から50代を振り返りますと、全てが順調に流れ、周囲の人と明るく爽やかに日々を送った思い出もあれば、恥ずかしくてやれやれ、と冷や汗をかくような思い出もあります。
その違いをあれこれ探ると、やはり、独善的ではなく、人と共に生き、共に成功しようと思っていると、物事が順調に流れていたようです。
新聞、テレビ、ラジオ、どちらを向いても戦争や新型コロナ、貧困、希望を持ちたくても、どうして良いか分からず苦しむ話ばかり。
最近しみじみ想うのは、高校時代、洗礼を受けておいて本当に良かったということです。
森を散歩しながらふと小鳥の綺麗なさえずりを耳にした時の平安感、目にする薔薇や、その香りが私に与えてくれる喜び、夜空の月や北極星大好きな音楽からの感動の数々、そしてその喜びの源である神様への感謝の想いが湧いて来ます。
愛と平和、柔和と謙遜、忍耐と寛容を、改めて今身につけたいなあ、と思います。
学友「御隠居様」は四十代で天国に召されていますが、私の心の中に今でもしっかりと生きてくれていて、彼を思い出しつつ生活できる今を感謝しています。