かつての四季の移り変わり、そしてその中での佇まい――これらはもう、味わえないのでしょうか。地球の自然環境は、加速度をつけて破壊されています。私たちが今体験している異常気象は、地球の叫びそのものではないか、とそう思います。当然、そこに生きる生物は、その影響を受けます。人間も例外ではありません。そのため、人は人に対する優しさを失い、ある国は別のある国に対して、力で侵攻・制圧して行きます。このような社会には、決して平和はありません。
真の平和――それは、確かに恵みとして与えられるもの。しかし同時にまた、私たちが築いていかなくてはならないものでもあります。互いに気遣い合い、助け合うことなしには、生まれません。イエスは、復活の後、恐れの中にある弟子たちに現れて、こう語ります――「あなたがたに平和があるように」。(ヨハネ20・19、21、26)
この「平和」(シャローム)は、日常生活の中で挨拶として交わされる言葉だと言われます。しかし同時にまた、その本来の意味は、神が共におられる、ということです。イエスは、その誕生に先立って、「平和の君」と唱えられます。彼はこの世におられた時、人々に対してしばしばこう語りました――「恐れなくてもいい。」
ヨハネは、手紙の中でこう語ります。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」。(一ヨハネ4・18)自分が出合う人々は、恐れの対象ではなく、共に平和の中に暮らす人々であってほしい、と心から願います。アウグスティヌスは、かつて、こう語りました――「平和とは秩序の静けさである。」この静けさは、私たちが互いに愛し合うことによって与えられます。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。(詩篇133・1)