全知全能の神との「共存共栄」ほど喜ばしく、この上なく望ましいことはありません。しかし、人それぞれ、神との「共存共栄」はもちろん、人間同士の「共存共栄」をも強く希望しているのではないでしょうか。
人間同士の「共存共栄」のためには、相互理解や思いやりがなくてはなりません。相互理解や思いやりのあるところでは、安心、平穏、安らぎがあり、自然、友情が育まれ、勇気も与えられます。そこでは、互いに相手の人格や立場を理解し、尊重し合っています。そこには、相互信頼があり、より深い友情が自然発生し、育まれています。相互信頼の友情は、互いに人格の成長を促し、互いの人生に大きな成長、発展をもたらします。
「共存共栄」は、賞賛すべき人生の宝物であり、この貴重な体験、賜物を無にすることなく大いに生かし、さらなる賜物が与えられるよう、互いに一層の努力を重ねたいものであります。「共存共栄」は、各人に安心、平安をもたらすのみならず、各人の精神的成長、発展をもたらします。これは、つまるところ、世界の繁栄、平和の基となるものであります。
このような「共存共栄」の重要性を、各人肝に銘じ、社会の発展、成長のため、寄与しなければならないと思います。
とは言え、相手のある「共存共栄」、言うは易く、実現甚だ困難であります。というのは、身勝手な自己主張は、ゆるされないからであります。互いの短所長所を見極め合い、それを補い伸ばしながら、二人の「共存共栄」をはかるべきであります。
「共存共栄」は、未知の力を発揮し、意外な成果をもたらすものであり、大いに期待されるべきであります。
福音も命じています「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と。(ルカ6・31)