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共存共栄

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 よく駄洒落を言う神父さんがいた。あるときわたしが、「よく駄洒落を言いますね。何か理由があるのですか」と尋ねると、その神父さんは、「わたしは楽しく生きたいんだ。楽しく生きるには、まず周りを楽しませなければ駄目だろう」と言った。その言葉を聞いて、わたしはちょっと感動した。周りがつまらなそうな顔をしているのに、自分だけ楽しく生きることはできない。周りを楽しませることで、初めて自分も楽しく生きられる。彼は、そう確信していたのだ。

 自分が幸せになりたいなら、まず周りの人を幸せにすることから始めなければならない、と言い換えてもいいだろう。「自分が幸せでないのに、どうやって周りの人を幸せにできるんだ」と思う人もいるかもしれないが、そもそも幸せとは何なのだろう。何かを手に入れ、人間としての基本的な欲求を満たすことは、確かに幸せの第一歩だろう。しかし、衣食住が満たされても、それだけで幸せになれるだろうか。やはり、誰かと交わり、自分が誰かから愛されていることを実感して、初めて心の底から幸せを味わえるのではないだろうか。幸せとは、「こんなわたしでも、誰かから必要とされている。ありがたいことだ」と感じたときに心の底から湧き上がってくる、静かな喜びのことではないかとわたしは思っている。

 どんな小さなことでもいい。誰かのために何かをして、相手を喜ばせることができたとき、言い換えれば、相手を少しでも幸せにできたとき、わたしたちの心に「こんなわたしでも、誰かの役に立つことができた」という幸せが生まれる。自分だけで幸せになれる人はいない。わたしたちは、互いを幸せにすることによって、みんなで幸せになっていくのだ。