中学生時代に通ったプロテスタントの教会では、日曜学校の生徒がクリスマス礼拝の後で「キャロリング」に行っていました。お年寄りや病気の信者さんのお家を廻ってクリスマスキャロルを歌うのです。
私は点字の分厚い讃美歌集を大きなトートバッグに入れて担ぎ、友達に手を引いてもらって歩きました。目的のおうちに着くと、重たい本を右手で持ち、左手で歌詞の点字をたどりながら心を込めて歌いました。
歌い終わると、お家の方が出てきて「ありがとう」と涙ながらに言ってくれました。このとき私は、礼拝よりキャロリングのほうが嬉しい、と強く思いました。それは、イエスが私たちを救うために生まれてくださったという喜びを、教会に来られない信者さんと分かち合えたからです。
この2年あまり、私も教会に行けなくなっています。人との接触が制限される中、手を引いてもらう「接触」が難しくなったからです。ミサは行われていても、「手引き」という接触がなければ誘導を受けられない私は、そう簡単にミサに与れないのです。
移動困難者だけでなく、仕事や介護などさまざまな事情で教会に行けない人々は、世界にたくさんいるでしょう。
でも、イエス誕生の喜びは教会でミサに与れる人だけのものではないはずです。
だからお願いします。ミサに与れるみなさん、どうかその場に来られない仲間のために祈ってください。そして、簡単なメールでもカードでもラインでも送って、喜びを分かち合ってあげてください。その一言がさみしくクリスマスを迎えている人には大きな力となるからです。何よりも、喜びは分かち合えばより大きくなるからです。
クリスマスが本当の喜びとして広がりますように。