洗礼によって、人はそれまでの罪や過ちをすべてゆるされ、神の子とされると言われます。ゆるしの秘跡は、神の子として、父なる神から離れて冒してしまった自分の過ちや怠りをふり返り、神との和解を求める時です。
私は、20歳の御復活祭に洗礼を受けました。長い間、待ち望み、やっと洗礼を受けることができ、いただいた白いヴェールのように、自分の心が真っ白になったような気持ちにさせられました。そして、洗礼を受けて間もなく、初めてゆるしの秘跡を受けました。洗礼後の罪の告白の後、私は、司祭の「償いとして」という言葉に一瞬恐れを感じましたが、その後に続く言葉に拍子抜けしたような驚きを感じたことを今も時々思い出します。
「償いとして、主の祈りを一回唱えてください」という司祭の勧めに「そんなことでゆるされるのか」と本当にびっくりしたのです。
私の中では、まだまだ厳格な神のイメージが強かったようで、今、この時の驚きを思い起しながら、私にとって、神の愛とゆるしの深さと不思議さを実感した小さな体験だったと思えます。私は、たとえどんな罪を犯しても、神に立ち帰ろうとする時、いつも両手を広げて温かく迎えてくださる父なる神を信じています。洗礼を授かった時、私は、長い間、自分自身が求め続け、やっと迎えられたと感じましたが、今、私は、私を待ち続け、一番喜んでくださっているのは、神ご自身だと実感しています。
クリスマスは、神の御独り子がお生まれになった、「喜びの日」です。世界中の人々がこの日を待ち望んでいます。しかし、何より、「その独り子をお与えになるほど世を愛された」(ヨハネ3・16)神ご自身の「喜びの日」なのです。