花が縁で親しくなったお方の庭を訪れた。淡いオレンジ色の花びらを重ねたバラを指して、「このバラの香りをかいでごらんなさい」と言われた。私はこれほど甘美な香りをしらない。このバラは朝霧のような香りが立ちのぼり、心が洗われるような慰めに包まれた。
バラの名前は「ジュード・ジ・オブスキア」。手帳にメモして帰宅した。このバラはイングリッシュローズの育種家であるデヴィット・オースティン氏の作ったものだ。このバラの名前をオースティン氏は、トマス・ハーディの最後の小説『日陰者ジュード』から名付けた。ジュードという名前はユダを連想させる名前だ。私はあのバラの香りこそユダが回心し、赦された香りではないかと思う。
イエスの公生活はユダがきっかけとなり十字架上の死に向かう。
イエスからたくさんの教えを受けた弟子たちでさえ、イエスの最期が十字架上の愚かにも思える死だとは信じがたかったはずだ。ユダはイエスを裏切るきっかけを作ったが、十字架上の死へと追いやったのは、祭司長、優柔不断なピラト、そして熱狂的になって騒ぎ立てた民衆だ。
ユダは弟子たちの中で単純な性格ではない。コンプレックスがあった。
コンプレックスには複雑という意味もある。イエスの公生活でユダはハムレットのように、このままでいいのかどうかいつも揺れていた。このことを責めることのできる者はいるだろうか。
私たちが教会共同体と現実の社会を生きる時に生じる矛盾を、ユダは抱えていた。けれど、イエスが十字架上の死に向かっていく時、ユダは純度の高い悲哀に襲われ、死に向かっていった。
イエスはそんなユダの悲哀を赦さないわけがない。あのバラの香りはユダの魂の安らぎ...。