私たちは、今日という日をどの様に過ごすのでしょうか。ゆったり過ごす人、慌ただしく過ごす人、様々でしょう。でも過ごし方を変えて、工夫してみることで、日常に新しい光が差し込んで来るかも知れません。
その昔、フランス人宣教師の神父様に言われたことを思い出しました。住んでいる自分の部屋の中を見回してごらんなさい。十字架の前とか、マリア様のご像の前、ご絵の前など、落ち着く場所があるはずです。そこで祈る習慣をつければ、家で祈れる様になりますよと。
これは生活の中での祈りのことでしたが、「安らぎ」も同様かも知れません。家、部屋、職場、人々など。その中で探すならきっと「安らぎ」が見つかることでしょう。でもそれは自分が置かれている「場」で探すことが大切な様に思います。
大切な家庭があるのに、外の人や場に安らぎを求めるなら、求め続けるなら大切な家庭はどうなるでしょうか。たとえば朝から晩まで教会に入り浸っている人がいるとするならば、神様は悲しまれるでしょうね。ともに生きる大切な人、場をおろそかにしていますから。
自分が置かれている「場」の中で、生き生きと生きることができる様に「安らぎ」を探し、そのうちに憩いつつ歩んではいかがでしょうか。ともに生きる人の良いところに目を留め、生きる場所の良いところを探しながら。そしてそれが安らぎになれば嬉しいのですが。
それは目の前の現実に向き合いながら、受け止めながら、地に足をつけてしっかりと立ち、生きていくことになるのですから、人としても大きく成長してゆくことになるでしょうね。慌ただしい中でも、ゆったりとした中でも、安らぎのうちに安らぎながら歩んでゆくことができますように。