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安らぎ

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 我が家の近所のショッピングモールに、ストリートピアノが登場しました。決まった時間に一人10分まで演奏ができます。楽器はモールに教室を持つメーカーのアップライトピアノ。横に手指消毒用のアルコールと、鍵盤を拭く布などとともに、マスク着用を促す掲示があります。

 教室の生徒さんからピアノを学んでいそうな中高生、音大生らしき弾き手たちまで、演奏者が次々と現れます。「どうだ、聞いてくれィッ」とばかりにジャズを熱演してがっつりアピールする少年、「乙女の祈りなどレッスンの課題曲をたどたどしく弾く女子高生。それぞれにルールをきちんと守り、弾いた後は鍵盤を拭いて行きます。

 ある日、小さな女の子が、発表会でよく弾かれるメヌエットを弾き始めました。和音展開は分かっているけれど、音が思い出せない。左手の忘れたところは右手だけ弾いて、決まったのは最後の和音だけでした。発表会なら「がんばったね」と慰められてしまう感じの演奏です。私は思わず、「そこはソだよ、違う違う、惜しいっ、ファのシャープ」などと心の中で話しかけてしまいました。しかし彼女は、何度つかえても途中で投げ出さず、とにかく最後まで通しました。傍にいたパパは、口を出さず、静かに見守っていました。

 弾き終わっても、辺りは静かで拍手はなし。でも、そこがストリートピアノの良さなのです。どんな演奏も適度な「心の距離」を持って静かに見守られるからです。苦労のメヌエットの後には、透明な静寂が生まれました。何気なく聞いて通り過ぎるだけだけれど、一期一会の演奏はひとときの安らぎとして人々の心を解きほぐしてくれるのです。

 演奏を一番深く聞いているのは、実はピアノと神様かもしれません。