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ときめき

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 ときめきとは、辞書によると、「喜びや期待などで胸がどきどきすること」とある。私はあまりこういう感情を経験したことがないので、正直に申し上げれば、気の利いたことを書けるはずがありません。

 ただ、イスラエルの聖地などを訪ね、イエス・キリストの遺跡に触れたりすると、特別な感情が起こるのを経験したことはあります。

 私は聖地エルサレムに、3回旅行しましたが、その一回目、最初の経験は、50歳のときです。世界を横断して、最後に聖地エルサレムの聖書研究所に10日間滞在したのです。

 ある日、独りで聖墳墓教会という、イエスが十字架に懸かって亡くなられた場所に建てられた教会に入りました。そこには、イエスの懸かった十字架が立てられた場所に祭壇が置かれています。

 その場所で、ゴルゴタの丘のその跡に手を触れたときには、ときめきというより、もっと表現しがたい感情を覚えました。

 もう一回は、それから35年後、巡礼団を引率して聖地イスラエルに巡礼をしたときのことです。

 私たち巡礼団は聖墳墓教会を訪ね、そこを管理している聖フランシスコ会の修道司祭に、ミサを捧げたいと申し出ました。すると、実に快く「どうぞ」と応えてくれました。

 そして、ミサを捧げる祭壇が、イエスが埋葬された岩を削ったお墓であったのには驚きました。私はそれまでに二回も訪れていましたが、人が身をかがめてやっと入れるくらいの部屋が墓地だったことをこの時初めて知ったのです。しかもそこでミサを捧げたのには、ときめきを超えた、大きくて深い感動でした。

 私たちは30分でミサを終えたので、管理者に褒められました。

 「さすが日本人です」と。