ある人が、洋服を捨てるかどうかを決めるのは、その服にときめきを感じるか否かによると言っていました。私は「ときめき」で何かを判断することはありません。すぐに消え去ってしまうからです。
ときめきに近い感情に「憧れ」があります。手に入りそうもないのに決して諦めることが出来ず、いつもそこへ心が向かう。それが憧れです。
アウグスティヌスという聖人は「人は神に出会うまでは決して憩うことがない」と言いました。彼は、様々な宗教を巡ったのちにキリストに出会いました。そして、ようやく心の平和を取り戻したのです。彼は自分でも気づかないうちに神に憧れ、神を捜していたのでしょう。
この憧れはすべての人の心に刻まれているのだと思います。だから神さまに出会うと魂が満たされ、安らぎを得るのです。
神との出会いはそれぞれに美しいストーリーがありますが、切実に求める人は遅かれ早かれ神に出会うと思います。
私自身はイエスに出会うまでは生きているとは言えませんでした。私にはどうしてもイエスが必要でした。土の中に生き埋めになったまま苦しんでいた私に声をかけてくださった方、手を伸ばし、力強く引きあげてくださった方、それがイエス・キリストでした。
彼が私に声をかけてくださった日を境に私は生きていることを喜べるようになりました。食事を美味しいと感じ、よく笑うようにもなりました。神さまが私を愛し、望んだから生まれてきたとわかり、嬉しくなったのです。
神さまはいつも私たちを呼んでおられるので、その声を聞いた人は神に向かって歩み始めます。神さまは恐い方ではありません。暖かな光、愛そのものです。私たちに豊かな命を吹き込もうと呼んでおられるのです。