私は長年、妻の運転手をつとめておりますが、今回は白内障手術のために、眼科にお供しました。この手術を経験した方は皆さん、世界がこんなに美しかったとは、と仰います。ということは、もし妻が回復して私を見たら、自分の夫はこんなにハンサムだったのかと驚くかもと思うと、ちょっとときめきます。
待合室で私はカトリック新聞を広げ、春先に亡くなったマクドナル神父様の追悼記事を読みました。私が2000年8月に、ハヤット神父様から「ともしび」の執筆陣に誘われて以来お世話になった、優しい、一途に主にご自分を捧げられた方でした。
それから第一面の赤い祭服をまとった教皇様の写真に目をひかれ、その冒頭を読むと私はもう一挙に、主と教皇様の思いに鷲掴みにされてしまいました。
記事はこう始まりました。「イエスは最も難しいおきてに従う。それは自分の敵を愛すること、そしてイエスは人類に同じようにするよう促している」と。
この言葉は本当に生々しく心を打ちます。というのは、最近、世界を覆っている未曾有の悲劇のただ中で、自分の命と、人生の進路の一切を投げ出して同胞のために戦う崇高な人々がいて、私達は「たとえ応分の犠牲を伴っても、その人々のための実質的な交渉を始めるよう求められる」からです。この場合は、愛の行為として私達に出来る何らかの具体的な、ぎりぎりの行動を指すでしょう。
教皇様の、「悪と悲しみの負の連鎖を、愛と赦しで打ち破ること」とのお言葉は、この上なく重い真実を私につきつけます。
妻は私にこう言いました。「教皇様はウクライナの人たちを、殉教者だと思っていらっしゃると思うわ」と。
手術の終わった片目を、大きな眼帯でおおいながら。