恵み満ち満てる「時」、恵み満ち満てる「方」の事を「麗しい」と私は思います。
マリア様がお告げを受けた時の天使の言葉に、「喜びなさい、恵まれた方。主はあなたと共におられます。恐れる事はないマリア、あなたは神の恵みを受けている。」とあります。(参 ルカ1・28、30)
私たちも、神様からたくさんのお恵みを戴いていますが、それに気づかずに過ごしているのではないでしょうか? それを気づく為に、毎日の黙想や意識の究明をして、神様が私にくださっているお恵みを気づくよう時間を取り、真剣に一対一で神様との親しさを深めていけるよう、修道院の日課は、自然とそうなっているように思います。
特にお告げのマリア修道会は、お告げの時にマリア様が答えたFIAT、「なれかし」がモットーであり、制服の胸に紋章として留められています。マリア様が全身全霊で神様のみ旨を生きたように、私も神様のみ旨を一つでも多く出来ますように。
インドのカルカッタで働いていたマザーテレサは、「どれだけのことをするかは問題ではありません。どれだけの愛を行動に注いだかが問題です」と言われました。
私は出来ているだろうか? 仕事を選り分けていないだろうか?人から称賛される名誉ある仕事を望んでいないだろうか?ましてや、それを無意識のうちに選んでいないだろうか?
神様に使って頂いてこその世界にいるはずの私が、いつの間にかこの世の名誉、権力にまかせ上から目線の傲慢になっているのを感じ、寂しさを覚えます。
どんな小さな事でも愛を込めて出来ますように。お掃除、洗濯、水やり、ゴミ出し、どうでもいい仕事なんて何もない。
私が、どれだけ愛を込めて丁寧に出来るか、もう一度選び直せますように。