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麗しい

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 「麗しい朝」「麗しい人」という言い方を耳にするとき、「美しい朝」「美しい人」とほとんど同じ意味なのに、どうして違った雰囲気がするのかという戸惑いがあります。

 国語辞典で確かめて見ると「美しい」は「形、色,声などが 人に快い感じを与える。」とのこと。対する「麗しい」は「よく整って美しい。端正でりっぱである。」となり、念のため「端正」を見ると「動作、姿などに乱れがなく、きちんとしている事」と説明されています。なるほど、「麗しい」には見た目や感覚だけではない 精神的、内面的な要素が含まれるようです。

 そこで改めて「麗しい人」と言ってイメージしてみますと、先輩画家のAさん、お世話になったシスター、教会の友人、何人もの笑顔が思い浮かびます。皆さん身だしなみ良く動作が軽快で、背筋が伸び笑顔が美しく声にも張りがある自然体の人たち、皆の事を思い出すだけで何となく私自身も楽しくなります。そして不思議なことに、Aさんは逞しくてルーベンスの聖母マリアみたい、シスターは優しくかわいいラファエルのマリア様のよう、そしてBさんはボッティチェリ風、Cさんはグレコ風、素朴な感じがミレーの祭壇画のマリア様に似ている人など、麗しいと思える彼女たちは、何故かどことなく古今東西の名画に描かれたマリア様に面影が似ていました。

 包み込むような優しさ、何が起きても動じない静けさ、簡素ながら漂う気品、歴代の画家たちは、自らがイメージする聖母マリアを様々に表現してきましたが、時代を超えて共通している表情や動作に漂う雰囲気こそが「麗しさ」だったと気づきました。

 私は、作品「ロザリオの三奥義」の中にマリア様を描きましたが、改めて新作に挑戦したくなりました。