大抵の修道院にはイエス様の十字架刑までの歩みを描いた「十字架の道行き」といわれる14枚の絵があるものですが、昨年訪問した一つの修道院のチャペルは非常に狭くて、そのためのスペースがないようでした。どうにかしたいと思い、小さいのを見つけて送りますねと約束していました。なかなか手ごろなものが見つからず、諦めていたところに、一つの修道院が閉鎖されることになり、そこで使用していた道行きの絵を受け取り、くだんの修道院にやっと送り届けたのは、訪問からほぼ一年経ってのことでした。
そこの院長からの手紙には、「シスター下窄は私たちのことを忘れていなかったと姉妹で話しました。そして皆に笑顔が浮かんでいました」と書いてありました。「忘れていなかったのだ」という表現に、シスターたちの大きな安心と喜びを感じ、熱いものがこみ上げて来ました。
私は一年中、手ごろな大きさのものを探していましたが、彼女たちはそのことを知るはずもなく、荷物が届いてはじめて「忘れられていなかった」と知ったのです。互いに約束を忘れていなかったのですが、実現までに時間がかかり、どちらも諦めかけていたのです。でも、約束が果たされる時が来ました。一つの修道院が閉鎖されるという思いがけない形で約束は実現したのです。
この、一年をかけて完成した「十字架の道行き」探しは、シスターたちと私自身との互いを思う道であったと思います。聖書は、神にも人にも麗しいものとして、「仲良く暮らしている兄弟、友情で結ばれた隣人仲睦まじい夫婦」をあげています。(参 シラ書25・1)
この麗しい関係は、一朝一夕で完成するものではなく、忍耐と希望をもって歩むことの中で成長していくのだと実感した出来事でした。