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麗しい

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 「麗しい」という言葉は、この言葉の「奥ゆかしさ」のためか、日常会話では、あまり使わないように思います。その代わりに「きれい」とか「美しい」という言葉を使うように思います。

 辞書をみますと「麗しい」とは、①「端正である。立派である」など、八つの意味が出ています。それを挙げますと、「色彩が見事である」「行儀がよい」「人の仲が理想的にいっている」「性格が曲がっておらず、几帳面だ」「気分や表情が晴れやかだ」「愛すべきで、かわいい」「正真正銘で、まちがいない」などです。いずれも、晴れやかな、快い印象であり、なんら抵抗なく、すんなり受け入れられ、しかも重厚性ある誠に快い形容詞であります。

 しかし、その使い方は、重厚性があるだけに非常にデリケートであり、繊細な心遣いが必要だと思います。なにが「麗しい」のか、その対象をまず十分観察、見極める必要があると思います。見かけ、容貌、振る舞い、表情、そして目に見えない内面的な心、性格までも見極めねばなりませんが、その「麗しさ」とは、いずれも、見た目、つまり視覚によって、キャッチした第一印象が大切ともいえます。

 表面から見た目は、同時に、相手の内面を見抜くことも可能であり、その第一印象で直感的に相手の心を察知し、その麗しさをも感知しているに違いありません。見た目の「麗しさ」の一番は、見開いた目の輝きにあると思います。その奥に内面の輝きも見えるからでしょう。

 熟睡の後の早朝、意気揚々のエネルギッシュな目の輝き、そこに筆舌に尽くし難い「麗しさ」を感じ、その日一日の幸運をも痛感する次第であります。