「麗しい」という言葉を聞いて、ふと思い出した聖歌があります。
『カトリック聖歌集』の288番、「うるわしき」という聖歌です。
この聖歌の歌詞はこのようなものです。
「うるわしき 主のみこころ 花さく丘に み教えの かおり高し 白百合の花」
イエスさまが人々に教えを宣べ伝えた場所の跡に建てたとされる「山上の垂訓教会」という教会がイスラエルのガリラヤ湖畔にあります。私がこの教会を訪れた時には、春真っ盛りで、教会が建つ丘の周りには花が咲き乱れ、鳥たちがやかましいほどにさえずっていたと記憶しています。
おそらく、イエスさまはこの丘の上に実際に立って、人々に本当の幸せの道を説かれたのだと思います。
「真福八端」とも呼ばれるイエスさまの説教は、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」(マタイ5・3)という言葉から始まります。花が咲き乱れ、鳥たちがさえずる中で、イエスさまはまことの幸せを説かれたのです。
この「心の貧しい人」とは、人間に頼るすべがなく、神さまにのみ、より頼む人たちのことを言います。神さまの国は、このような人たちのものなのだ、とイエスさまは説かれます。
続いて、「悲しむ人」「柔和な人」「義に飢え渇く人」「憐れみ深い人」「心の清い人」「平和を実現する人」「義のために迫害される人」をあげて、それぞれ「幸いだ」と教えられました。
私たちの本当の幸せとは、物質的なものだけではなく、私たちの心の状態を指すのではないでしょうか。この本当の幸せは、実にイエスさまの麗しい心から湧き出て、私たち一人一人に語りかけられ、浸透していくものなのでしょう。この教えをしっかりと心に受けとめて、日々歩んでいきたいと思います。