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麗しい

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 私は以前、修道会の神父でした。その修道会は「黙想の家」を経営していて、マザーテレサが泊まったという部屋を掃除していたとき、一つの額が壁に掛かっているのに気づきました。

 その額には、英語と日本語で『互いに愛し合いましょう。マザーテレサ』と記してありました。

 それを見た私は、不謹慎にも「こんな言葉、私にでも言える」と思ってしまいました。でもすぐに、誰でもその言葉を発することはできるけど、私とマザーテレサとでは言葉の意味が違う、その重さが違う、ということに気がついたのです。

 同じことは、私たちの人生の中にもありそうです。

 ある司教さんから聞いた話です。司教になる前に、神父として働いていた教会で、ある人に不思議なことが起こったのだそうです。

 ある主婦が、夕食の準備の時、テレビを見ながら調理をしていました。すると、東南アジアのある国の、幼児売春の状況が特集されていました。この主婦は、徐々にその特集に引き込まれ、この子供たちに何かをしなければいけないという思いが、心に広がっていきました。

 特集番組が終わったとき、言葉もできないし、その国のことも知らないのに、現状を自分の目で見なくてはいけない、という確信にも近いものが湧き上がり、その思いは深まっていきました。

 そしてしばらく後、その国に赴き、日本で何ができるかを調査しだしたのだそうです。

 この話をしてくださった司教は「彼女の心の琴線に触れたのでしょうね。普通の目立たない主婦が、急に変わったのですよ」と、驚いたそうです。

 一つの言葉に、あるいは出来事に出会ったとき、人生を賭けてもよいと思うほどの「心の麗しさ」を誰もが持っているのだと私は確信したのでした。