おすそ分けで「あいさつ最中」というお菓子をいただきました。握手をする形がハート形で描かれた最中で、包み紙には「きもちをつたえ、こころをつなげる」と書かれています。短くささやかであっても、私たちの挨拶の言葉や仕草の奥には、人としてつながりたいという、様々な気持ちや心が隠されていると思います。
神学生の頃、「お前はいつも、俺にだけは挨拶をせん」と、私におっしゃる神父様がおられました。私にはそんなつもりは全くなかったのですが、その神父様には、高校生の頃から何かと教えを受けてきました。礼儀や作法、祈りに厳しく、お部屋を訪ねると、ノックのやり直しを命じられたこともあります。また英語の勉強に熱心で、一番お勧めの辞書をプレゼントしてくださいましたが、うっかり別の辞書で宿題をしているのが見つかり、神父様を悲しませたこともあります。
30代となり、改めて大神学校に入学すると、「そんな大事なことをなんで俺に報告しなかったのか」と、大目玉を食らったこともあります。でも神父様はそのとき、「俺はいつもお前のために、昼ご飯の後にロザリオの祈りばしよるとぞ」とおっしゃいました。後になってようやく、「挨拶」を求める心の奥にある、神父様の気持ちに気づくのです。
私の以前の任地で可愛がっていた男の子が、今は司祭をめざし、隣りの小神学校で学んでいます。「中3の君に不器用な挨拶しかできなくてごめんね。でも私はいつも、君のことを応援しているよ。」
熱情の神は愛の神。その見える姿であるキリストは苦しんで復活し、今日も「あなたたちに平和」と挨拶してくださいます。
イエスのような温かな心で、他者とつながることができますように。