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繰り返し

阿南 孝也

今日の心の糧イメージ

 先日新幹線で、若い僧侶の方と隣り合い、話を伺う機会に恵まれました。かねてより関心のあった托鉢について、尋ねてみました。

 「お~お~と聞こえるのですが、何と言っておられるのですか?  「法雨です。仏教の真理である『法』が、『雨』のようにすべての人に降り注いでいるという教えなのです」これを聞いて、私は思わず「聖書にも『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる』(マタイ5・45)というイエスの言葉があります。似ていると思われませんか?」とお尋ねすると、「本当ですね」とほほ笑んでくださいました。

 そうなのです。仏教でもキリスト教でも、仏や神は、無条件で恵みを与え続けてくださる方であると教えています。神は世界を創造され、人間をご自身にかたどって作ってくださいました。「それは極めて良かった」と聖書は伝えています。(創世記1・31)しかし、人間は罪を犯し神から離れてしまいました。心を痛められた神は、預言者を送り、神に立ち返るよう、幾度となく促されましたが、人々は聞く耳を持とうとはしませんでした。そこで神は、ご自身が人となって、人間の争い、憎しみの中に身を置いて、私たちに語られ、人類を救おうと計画されたのです。

 私たちが、神のこの忍耐強く愛に満ちたメッセージに心を開き、物の豊かさではなく、真の豊かさを求めて生きていくことができますように。神が愛し抜いておられる世界中の人、特に、「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25・40)とまで言ってくださった弱い立場に置かれた方々に対して、もっと関心を寄せて、共に生きていくことができますように、祈りたいと思います。

(「心の糧」アーカイブ2017年6月掲載分より)