イエス様の十字架の両側に犯罪人がいました。(参:ルカ23・39~43)一人はイエス様をののしりました。もう一人はそれをたしなめて、謙虚な心を示しました。イエス様は彼に「今日私と一緒に楽園にいる」と言ってくださったのです。
悪代官を懲らしめる時代劇は、分かりやすく、ストレス解消に効果的です。でも本当は、善人悪人の両面を持ち合わせている、それが人間なのではないでしょうか。二人の犯罪人の運命は、文字通り天と地の差となりました。私は、どちらにもなり得ると考えて聖書を読むことにしています。
二人の発言だけを取り出してみましょう。
「自分自身と我々を救ってみろ」と「私を思い出してください」と訳されています。でも英語では、どちらも同じ命令形が使われています。そこで、悪い犯罪人の言葉も敬語を用いて訳してみますと、「ご自身と私たちを救ってください」となるのです。これで天国と地獄の差となるのは、なぜなのでしょうか。
むしろ、良い犯罪人の「私を思い出して」よりも「私たちを」と言っている点は評価してもよいくらいです。いけないとすれば、「救ってください」と、イエス様に指図していることかもしれません。私たちは、この悪い犯罪人のように、こうしてください、ああしてくださいと、神様に命令するような祈りをしていないか、反省する必要があると思うのです。良い犯罪人の「思い出してください」という謙虚な姿勢が必要なのです。
「病気が治りますように」や「合格できますように」などの、お願いの祈りをするときは、その後に、ゲッセマニでのイエス様の祈りをお手本にして、必ず「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22・42)と唱えるよう、心掛けたいと思います。
(「心の糧」アーカイブ2017年10月掲載分より)