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レジリエンス

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 名は体を表すと申しますが、わたしは太だというのに痩せています。そのせいか、名前を伝えねばならない時、しばしば聞き間違いがあります。受付などで、名前を尋ねられて答えると、「『ひとし』さんですね」などといわれることも珍しくありません。

 それでも、親が与えてくれたこの名前を、実はかなり気に入っています。あっという間に書けるし、「太」という字はバランスもよく、すばらしい意味を含んでいます。また、この名前は一目瞭然、単純明快、読みやすさにおいても非常に優れています。ただし、名が体を表していないので、本人を見た人が、思わず怪訝そうな顔をなさることだけが少々難点です。

 ところで、この名を身体で十分に表現するのは難しくとも、せめて心は太く豊かでありたいと願ってきましたが、それも非常に困難な道だとようやく気づき始めました。この半生を振り返ってみると、些細なことで度々腹を立てているわたしの心は、哀しい哉、正直それほど太くも豊かでもないように思われます。

 考えてみれば、なんとも身に余る大変な名前を頂いたものだと自分に落胆するとき、イエスさまに「岩」と呼ばれたシモン・ペトロのことを思い出すと、とても励まされます。「ペトロ」とはいわば、固い「いわお」です。しかし、ペトロはイエスさまを固く信じきることができず、権力者たちがイエスさまを十字架にかけようとしたとき、イエスさまのことなど知らないと言い、逃げ出してしまいました。それにもかかわらず、復活したイエスさまは、なおもペトロを、イエスさまを信じる人々の礎としました。

 親を通してこの名を与えてくださった神が、わたしをどのように使ってくださるのか、まだまだ楽しみにしたいと思います。