「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。私が50歳でうつ病にかかり、「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。
何も出来ない。死んだ方が良い」とさえ考えた私を、病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。
修道院に見舞いに来てくれた1人の精神科の医師は、「この病気は信仰と関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、他の医師からも、「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、うつ病になったのも、神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。
もとの自分に戻るのに、2年かかりました。今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。
そんな私が、それでも感謝できるのは、病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、少し優しくなれたことでした。さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、「私も、うつ病になったのよ。きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。
「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、「やっぱり感謝」と言えるようになりました。神さまに、「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。すべては恵みの呼吸なのです。どんな不幸を吸っても、はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。
(「心の糧」アーカイブ2014年6月より)