私たちの修道院は、大学内の建物の一つの4階にあります。したがって出勤する時、修道院に戻る時には、小さなエレベーターを使います。そんなある日、ふと、気がつきました。
私は、目指す階のボタンを押してから、すぐ隣の指で「閉」というボタンを押している。エレベーターは、壊れていない限り、階数だけ押せば、自然にドアが閉まり、目的階へ行くはずではないか。
そこで、秒数が表示される時計で計ってみたところ、このエレベーターは、4秒で扉がしまり、目的階に着きました。その日、私は、自分が1人で乗る時は、目的階のボタンだけ押して、後は待とうと、小さい決心を立てたのです。
「4秒なんて、どこかで、すぐに経ってしまうのに」と、教えてくれる人もいます。本当にそうかも知れません。でも、私は待つのです。それは、「4秒すら待てない」人間になりたくないからなのです。忙しさに負けて、自分の心を亡ぼし、貧しくしないために、せめて1日に2度でもいい、修道院と学校との往復に、自分を「待たせる」ことによって、心にゆとりを持ちたいのです。
時間に追われる自分でなく、時間の主人としての自分として、心を落ち着かせたいのです。エレベーターに乗っている間に、アベ・マリアを唱えることもできます。出会う人たちへの笑顔も用意できるのです。
豊かな心はお金では買えません。心を豊かにするためには、ほんの数秒でいい、自分が自分を見つめる時間を必要とします。世の中は日に日に便利になっています。そのかげで私たちが失いかけている心の豊かさは、こうした日々の小さな出来事の積み重ねでしか、養われないのではないでしょうか。
(「心の糧」アーカイブ2014年4月より)