わたしたちは、弱い人間ですから、どんなに才能があっても、失敗することがあります。そのたびに、七転び八起で、失敗は成功の基なり、と前向きの考え方をして立ち上がれば、それによって人間は必ず成長していきます。それがもう駄目だと絶望してしまうと、不幸の坂を転げ落ちてしまうことになります。
「悔い改め」というのは、もともと宗教用語で、罪を犯したと気づいた時に、悪かったと認め、「赦してください」と祈って、神さまの許に帰ることを意味しています。回心といってもいいでしょう。すると神は、必ず過ちを赦され、力強く真っ直ぐ生きていく力を与えてくださいます。わたし自身は、何百回もそういう経験をしてきました。
悔い改めで大事なことは、過ちを犯した、あるいは間違ったと、「気づく」ことです。しかし、決して不安になったり、自己不信に陥ったりすることではありません。不安というのは、神への信頼の欠如ですから、ある意味で、罪よりも悪いと、わたしは若い時の霊的読書で教わりました。ですから、悪いことをしたということに気がつけば、即座に考え方や選択を変え、神に至る正しい道に戻るように努めています。そこから得られる恵みは、一言で言い表せません。ですから、わたしたちは、過ちを犯したことをいたずらに後悔するのではなく、間違ったと気づいた瞬間に、ものの見方や選択を変えようと努めることが、大事です。
「過ちて改めざる、これを過ちという」との言葉もあります。
人間は、過ちを犯すことで謙虚になり、用心深くなります。悪かったと気づいたら、すぐに改める。それを平安な心で行うなら、わたしたちはやがて偉大な人になるでしょう。