私たちはみな、自分のものの見方で状況を判断し、好みに合わなければ不満をもちますが、神さまは別の基準で私たちの善を求め、益となることをしてくださいます。
ある人が、とても条件のよい仕事について満足して働いていましたが、数年後、人間関係に疲れて心が満たされない毎日を過ごすようになりました。しかし、その仕事を手放すことなど毛頭も考えませんでした。仕事に必要な専門知識もありましたし、お給料もよかったからです。やがて、その方は心身のバランスを崩しそうになり、ミスが続いて辞職を余儀なくされました。すぐに次の職場が与えられましたが、以前ほど条件がよくないことに不満をもち、前の会社の上司を悪く考えて苦しみました。
10年以上の時がたち、彼はいろいろな経験をしました。そして、悩み、苦しみながら徐々に変わっていきました。多くの経験がプラスになり、職場でも家庭でも幸せを感じるようになったのです。
ある日彼は、人生は神さまの贈り物なのだ、とわかりました。体験したことで何一つ無駄なものはなかったと思ったからです。耐えられない試練もありませんでした。嘆き悲しみ、不満を言った日も、忍耐強くそばで待ち、支えてくださった方がいたのです。定年退職のときに彼は、出会ったすべての人と経験に感謝し、心の中で神さまにありがとう、と言いました。
私たちは、自分を基準にしたものの見方で人生を始めますが、苦しみを通して新しい目が与えられることがあります。隠れていた素晴らしい神のご意思を発見するのです。すべての出来事は私の益となるために神さまが送ってくださったものだ、とわかると私たちは、どんなときにも感謝できるようになります。