柔らかい太陽の光に照らされて、土だらけの庭に小さな新芽がキラリと光る。蒔いた覚えもない小さな花が、いつの間にか、殺風景な庭をかわいく彩っている。
天地を創造された神が「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草とそれぞれの種を持つ実を付ける果樹を地に芽生えさせよ」とすべてのいのちの復活を命じているようだ。(創世記1・11)
神は自然界を彩る草木にそれぞれ種を持たせた。そして、その種が地に落ち、また新たないのちを芽生えさせ、この地球を潤している。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば豊かに多くの実を結ぶ」(ヨハネ12・24)
私のいのちもまた、誰かのいのち、動植物のいのちの繋がりによって支えられ、豊かにされている。
しかし、大切なわが子を失い絶望のうちにある母親にとって、そのいのちが一粒の麦となって死ぬことで、豊かに多くの実を結ぶと慰めてみても、そこにどんないのちの繋がり、豊かさを感じることができるのだろうか。
大切ないのちは亡くなったけれども、そのいのちは母親の中で強さや優しさを芽生えさせ、誰かの背中をそっと押してくれる温もりを生み出す力になっていくのかもしれない。
けれども、その力は自分一人では生み出すことはできない。私たちのために十字架に付けられ、死んで復活した主イエス。すべての悲しみ、苦しみを背負ったそのイエスに、そっと身を寄せることで、悲しみが愛と慈しみへと新たにされる。イエスの傷が、心の痛みをそっと包んで、柔らかな微笑みを生まれさせてくれる。
復活された主の愛のまなざしのうちに希望の光を芽生えさせ、新しい歩みを始めていくことができますように。主の復活、おめでとうございます。