少し前、私は仕事で、ある教会を訪れました。帰り際に、一人の主婦の方が「母を送りますので、一緒にどうぞ」と、最寄りの駅まで車で送ってくださいました。お母さんもその駅から帰られるそうで、しばし列車の中で会話を楽しみました。
会話中に、「私の家は仏教徒の家だったのですよ」とそのお母さんは語り始めました。それで、私はお母さんに聞いてみました。「どうして、キリスト教と出会ったのですか?」そうすると、「実は先ほど駅まで送ってくれた娘が、中学から毎朝1時間半ほどかけて、ミッションスクールに通い始めたのですよ。主人も大変だと、近くの駅まで自動車で送る毎日でした。それで私も、ミッションスクールに出入りし始めて、娘とともに洗礼を受けたのです。主人だけは受けませんでした。」
そこで私は、「それではご主人様はなぜ洗礼を受けたのですか?」と問うと、そのお母さんは「あるとき、孫と主人とが一緒に礼拝に行ったとき、孫は礼拝の途中で、聖体(キリストの体としてのパン)をいただいたのですが、主人がいただかなかったのを見てすぐに走ってきて、『おじいちゃん、どうして聖体いただかなかったの?』と質問するのです。」と答えて、その後ご主人は、孫のために洗礼の勉強を始めたことを語ってくれました。
そして、「これは娘も孫も、キリスト教の幼稚園に行っていたからなのでしょうね」と、話すと同時に「実は、その幼稚園は主人が卒園した幼稚園だったので、娘や孫に入園を勧めたのですよ。」と、種明かしをするようにそのお母さんは結論づけてくださいました。
教会に通うこのお母さんの話を聞きながら、人生の長いあやと主の復活の芽生えとを感じたのでした。