▲をクリックすると音声で聞こえます。

めばえ

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 生きとし生けるものの命というのは、いわば聖書が教える「神の種」のようなものです。(参 ヨハネの手紙1 3・9)

 生あるものが春の陽光を浴びると、芽を出し、成長しようと動き出すように、人の命も神のことばに出会うと、神に向って成長しようと動き始めます。

 私は10歳の頃、姉のキリスト教の話を聞いたとき、神さまがいるのを信じました。まさに神への芽生えといっていいのではないでしょうか。それで、神と一致したいと思って、一生懸命にみ教えの本を読み、お祈りをしました。その結果、後に教会に通い、洗礼を受け、修道院生活までするようになりました。これが私のスピリチュアルな生活の芽生えであったと思います。

 さて、話題が変わりますが、ユダヤ暦では、太陽暦の3月・4月の、いわゆる春という季節が「ニサンの月」と呼ばれ、ユダヤ人にとって新年にあたります。その時に、今のキリスト教会の復活祭にあたる過ぎ越し祭が祝われるのです。

 それは大昔、エジプトの奴隷状態にあったイスラエルの民をファラオ王の許から預言者モーセが解放した、出エジプトという脱出の出来事を記念する祭りです。これがキリスト教では復活祭になるのです。主イエス・キリストが無明と罪悪と死の奴隷状態にある人類を、神の子として芽生え、再生させ、やがて天国に救われるという神秘を祝う祭りであります。

 そこで、皆さんに申し上げたいのは、人間は本来、神の似像(じぞう)、すなわち神にかたどり、神に似せて創造された尊い命なのです。それに気づかないで闇の中に迷っているのが、今の私たちなのです。

 是非、芽を出すことです。