物やお金を人と分ければ、自分の分は減っていくものです。
しかし、愛や信仰など神様からの恵みはそうではありません。
逆に、人と分かち合うことによって、広がり増えていくのです。
私がカトリックの洗礼の恵みをいただけたのは、長崎大学の学生の時、カトリック信者の友人に出会ったからです。その友人は、大学のクラスメートで、彼自身も高校の時に友人の影響で洗礼を受けたそうです。
彼は別に変わったところのない、スポーツ好きで勉強も真面目な学生の一人でした。ただ違うのは、信仰心があり、それが彼の日常生活を活き活きしたものにしていたことです。
カトリック信者であることに誇りをもち、その教えの素晴らしさをまわりの友人にも伝えようとしていました。
「自分がもっている一番良い喜ばしいものを家族や友だちに伝えたい」と言っていました。
宗教が科学と矛盾するものではないこと、この世を充実して幸せに生きたい老若男女すべての人のものであることを、私は彼の言葉と振る舞いで知りました。
彼に出会わなかったら、恐らく、私はカトリックの勉強を始めることも、その一年後に洗礼を受けることもなかったでしょう。
「福音宣教は、最高の愛の業になりうる」と、ある神父様から聞いたことがあります。祈りと犠牲と行いをベースとした福音宣教は神様からの恵みを分かち合う愛の業だと今なら分かります。
クリスマスは、神様が人間の幼子となって、私たちに無限の愛と恵みを分かち合ってくださった日です。
馬小屋の幼子の二千年を経てもあふれてくる愛と恵みに感謝しつつ、私もいただいたものを少しでもまわりの人に分かち合えるように努めていきたいと思っています。