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分かちあう

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 職業人が本音を語るテレビ番組で、お寺の住職さんが恥ずかしそうに打ち明けていました。いわく、実は小さなお子さんのためにクリスマスパーティーをこっそりやっているのだとか。ケーキを買ってきてごちそうを作り、お友達を招いて楽しむというのです。そうしないとお友達との関係が心配なのだとか。大きな声ではいえないと言いながらテレビでお披露目してしまっているのを、微笑ましく思ったものです。

 ある年のクリスマス、私は「福耳落語」という本の取材でクリスマスイブにお寺で開かれた寄席にうかがいました。噺家さんたちが本堂の前で「メリー・クリスマス」と挨拶を交わしていて、笑ってしまいました。

 言うまでもなく、本来クリスマスは命を賭して人類を救ってくださったキリストの誕生を記念するものですから、キリスト教徒からすれば、こんな話には眉をしかめてしまいそうです。クリスマスイブはデートのためにあるわけではないという声もよく聞きます。

 私もクリスマスにはキリストの誕生を静かに祝い、神様との対話を深めたいと思う一人です。

 でも見方を変えると、形はともかく、クリスマスは日本人に自然に分かち合われているとも言えるのです。キリシタン禁制の歴史がありながら、いまやキリスト教の学校で教育を受けた人口も増えました。実際には楽しむだけでも、もはや本来の意味を知らない人はまずいないでしょう。

 お寺で繰り広げられている不思議な光景も、カップルのデートも、クリスマスに神様が許された祝福の一つなのです。

 デートの中でふと教会に入ってみる人もいるでしょう。住職さんの子どもたちも、いつか本当の意味を知るでしょう。

 それもまた、クリスマスなのだと思います。