O・ヘンリーの作品の一つに、「賢者の贈り物」という短編があります。ご存知の方も多いかと思いますが、次のような物語です。
デラとジムという若くて貧しい若い夫婦がいました。二人はそれぞれ相手へのクリスマス・プレゼントを考えています。ジムは、祖父から父へ、そして自分へと受け継がれてきた金の懐中時計を持っていました。一方デラには、美しくて長い髪の毛がありました。ジムは、デラにべっこうの櫛をプレゼントしようと思い、懐中時計を質屋に入れます。一方デラは、髪の毛を切ってそれを売り、そのお金でジムのためにプラチナの鎖を買います。皮肉な行き違いです。
しかしこの行き違いは、心和む行き違いです。なぜなら二人は、それによってお互いが、相手のことを心から思いやっていることを知ったからです。
この物語のベースには、キリストの誕生にあたって、贈り物を携えてやって来た、あの東方の博士たちの物語があるそうです。
誰かに自分の思いを伝えたい――そのような時、私たちは、何らかの贈り物を用意します。それは、たとえささやかなものであっても、真心の形です。ですから、それが高価なものであるかどうかは、問題ではありません。時には、できれば自分の手元に残して置きたい、といった物もあるかもしれません。
「愛とは痛いほど与えること」――そう語ったのは、マザー・テレサ。彼女はまた、こうも語りました。「お互いに愛を分かち合えるということは、あなたと私にできる神からの贈り物なのです。」思いやりという分かち合い。真の賢さとは、このことを静かに味わうことではないか、とそう思います。賢者の贈り物です。