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めばえ

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 草木が芽吹き、花を咲かせる季節が今年もやってきました。新型コロナがいかに脅威であっても、いのちのすべての営みを止めたりはしません。

 いのちの始まりは、ささやかなものです。大きな杉でも芽はつまむほどしかなく、動物や人の胚などは一ミリにも満たないほどの大きさしかないと知った時の驚きは忘れられません。そのちっぽけないのちにどれほどの愛のエネルギーを注げば、色とりどりの植物、精緻にかたち造られた魚や鳥、動物や昆虫、また人になるのでしょうか。

 さらに、心は目には見えませんが、なお神秘的です。さまざまな出来事を通して、わたしたちの心には思いがけず、悲しい、嬉しい、恋しいといった感情がめばえます。感情によって、心は、本当によい方を探し求めるよう動かされます。

 ある信者さんが神のもとに召され、その通夜を司式させていただいた時のことです。亡くなった方の子で、喪主の方が、「わたしはもう何十年も、教会に行っていませんので、明日の葬儀ミサで聖体拝領はできません」とおっしゃったので、思わず、「ではぜひ、ゆるしの秘跡を受けてください」と言いました。最初は躊躇しておられましたが、一緒にお祈りした後、その方の笑顔は素敵でした。その方の心の中にずっと生きていながら、枯れてしまったかのように思われていた神への憧れという木が、今、再び新しい芽を出したかのようでした。

 「見よ、わたしは万物を新しくする。」(黙示録21・5)教会での弔いの祈りにしばしば登場するこのみことばに出会う度、心が震えます神がめばえさせてくださるいのちは、この世の見えるものと見えないものの闇と悲しみと死を貫いて、わたしたちに希望と喜びをあたえ続けています。