花の終わった胡蝶蘭の根がはみ出してきた。ネットで調べて小鉢に植え替えた。古根を切り、新しい水苔で包み、少なめに水やりしていたら、葉の間から小さな芽が出てきた。どうやら花芽らしい。あの胡蝶蘭の花がまた楽しめるかもしれない!コロナの自粛生活で縮んでいた心に希望の光が差し込んだようで嬉しくなった。
そして「めばえ」という言葉から、イザヤ書の次の言葉が思い出された。
《エッサイの株からひとつの芽が萌え出でて その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊が留まる。知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り畏れ敬う霊 彼はその霊に満たされる》(参 11・1~3)
この萌え出でたひとつの芽は、ユダヤの民がダビデ王の栄光の時代の再現を願って待ち望む偉大な王の出現の預言のように思われるが、神の不思議なわざにより、馬小屋の飼い葉桶に眠る幼子の姿でこの世に現れた。礼拝したのは、突然現れた天使に「今日、あなた方のために『救い主』がお生まれになった。」と告げられた一握りの羊飼いだった。 (参 ルカ2・8~11)
今、私たちはコロナ禍で激変した生活に不安な春を迎えている。しかし世の中がどう変わろうと、あの「救い主」であるイエス様の大きな愛は変わらない。二千年以上も前に人類の全ての罪を贖う生け贄として十字架上で命を捧げたイエス様は、三日目に復活し、新しい永遠のいのちを生きておられる。私たち一人一人に寄り添い、憐れみと慈しみの心で見守り、導いて下さっている。イエス様を知らない人にも善意の真心で愛の祝福を与え、助けを求めれば、その人に一番良い方法で助けて下さる。イエス様の復活された新しいいのち・聖霊は、この胡蝶蘭のいのちが新しく咲いて輝くように、天の神様の大いなる愛の顕れなのである。