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めばえ

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 新約聖書の「ヨハネによる福音書」の最後には、次のような不思議な言葉が記されています。「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(21・25)

 今から2000年前のほんの数年間活動されただけのイエス様の活動記録がなぜ世界中に収めきれないほどの書物になるのでしょうか。とても不思議です。

 でも、私はこう考えます。四つの福音書に書かれているイエス様の言葉や行いだけでなく、その後、イエス様の復活という出来事を通して、今日に至るまで、イエス様が世界中の人たちに働きかけ、そのわざを続けてこられたからではないか、ということです。

 そして、そのわざは、今日だけでなく、これからの日々も続いていくのです。イエス様がわたしたちといつもともにおられ、働きかけ続けられるのです。

 話は変わりますが、カトリック教会で司教、司祭など教会の奉仕者として叙階される式に次のような式文があります。「あなたのうちに、よいわざを始めてくださった神ご自身が、それを完成してくださいますように」。司教や司祭だけでなく、神様は、一人ひとりのうちによいわざを始めようとしておられるのだと私は思います。いや、すでに始めておられるのでしょう。

 話は戻って、この「ヨハネによる福音書」の不思議な言葉は、時と場所を超えて、この世に生きている一人一人にイエスご自身がともにいて、よいわざを始めておられることをも告げているのだと私は思います。

 これこそ、一人一人の内に実を結ぶ神様のはたらきの「めばえ」ではないか、と思います。私たちの心の中に、この「めばえ」が確かに存在するのです。