何かが「芽生える」という時、そこには喜びや希望、エネルギーが満ちているような気がします。
昨年のこと。私が玄関から出て少し歩いていたところ、突然、横をサーっと何か小さなものが通り過ぎて行きました。びっくりして、何者かと目で追うと、それは薄緑色をしたもので、空に向かって飛んで行きました。はじめ、バッタかな、と思ったのですが、バッタにしては飛び方が違っています。それで、その小さな生き物がどこから飛んできたのだろうかと後ろを振り返って見ますと、その正体がわかりました!小さな生き物はフェンスの下のブロックの土台の隅に茶色の手がかりを残していました。その正体は、幼虫の状態から殻を破って出てきた、羽化したばかりの「せみ」だったのです!
羽化する様子を見ることはできませんでしたが、小さな殻から一生懸命抜け出し、広げたばかりの薄い緑色の羽で空に向かって勢いよく飛んで行ったのだな、と思うとさわやかな感動を覚えました。命の芽生えの輝き、力強さを見せてもらったように思いました。
せみの中でもアブラゼミなどは土の中で2年から5年もの長い時を過ごし、地上では一か月ほどの短い命を生きるといいます。暗い土の中でゆっくりと成長し、光の方に向かうその姿に自分の姿を思うようでした。
未熟さゆえに暗闇の中でもがき祈る時。ある時、光が与えられその暗闇での経験が恵みに変えられる時。苦しみから、喜びに変わるその芽生えの時の希望や力は神様からいただく大きな贈り物のようです。イエス様の受難、十字架、復活はまさにそのことを教えてくれていると感じます。命そのものであるお方に出会った時「私たちの心は燃えていたではないか」と。(ルカ24・32)