聖書によると、地球上のすべてのものは神さまが造られた、と記されています。それだけでなく、造られたすべてのものは良かった、とも記されています。
「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1・31)
神さまは私たち人間も含めて、すべてのものを極めて良いものとしてお造りになりました。言い方を変えれば、失敗作は何一つなかった、ということです。
この神さまの創造のみわざに対して、人間には祝福と共に一つの務めを与えられました。
「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』(創世記1・28)
この務めとは、地を従わせ、生き物すべてを支配するというものです。従来、この個所は、他の造られたものと比べて、人間がより優れていることを示し、人間の思い通りにすべてを扱うことができると解釈されてきました。
しかしながら、昨今の環境問題への敏感な対応が求められる中で、この個所は、より丁寧に造られたものすべてを扱うように、という意味に解釈され始めています。
神さまが極めて良いものとして造られたすべてのものに対して、人間が勝手な思いで全く思いのままにぞんざいに扱うのではなく、極めて良いものだからこそ、丁寧に配慮を尽くして扱うように求められているのです。
この聖書の個所は、地球の限りある資源も含めて、私たち一人一人が神さまによって造られたものすべてを大切に大切に扱うように呼びかけているのだと思います。
この、大切にする姿勢は、お互いを大切な存在としていたわり合い、助け合う隣人愛の教えにも深くつながるものだと私は思います。