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沈黙

シスター 下窄 優美

今日の心の糧イメージ

 ずいぶん前、勉強をしていた時のことです。外国語での勉強でしたが、ラジオをつけっ放して「ながら勉強」をしていました。うまくいけば言葉も上達するかもと思っていたわけですが、これはいい方法ではありませんでした。結局はラジオの音は騒音でしかありませんでした。音のしない環境なら集中できるかもしれないと考えて、イヤホンをつけてみました。耳に入ってくる音を遮って「沈黙」を作り出したつもりでしたが、音を無理やり消した人工的な沈黙とイヤホンの違和感のため集中できず、これもうまくいきませんでした。

 集中するために沈黙を求めていたわけですが、本当の沈黙は音量がしないということではなく、私自身の心の中にこそあったのだと思います。環境は大きな助けになりますが、環境が完璧でも心が整理されていなければ、真の心地よい沈黙は得られないと思います。

 ある会議に参加した時のことです。様々な国の大勢の参加者のざわめき、天井で回っている大きな扇風機の音も加わり、講演を聞くには決して良い条件とは言えませんでしたが、私自身は自分の中で沈黙を保って講演者の声だけを聴くことができました。沈黙は音がしないことではなく、より大切なことを聞く空間のようなものだと思えてきます。

 聖書の詩編が沈黙について語っています。「私の魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、私は希望をおいている」。参(62・6)「私は魂を沈黙させます。母の胸にいる幼子のようにします」。参(131・2)心の雑音ともいえる心配や思い煩いをしばしおいて、沈黙の中に自分自身をおいてみることは、本来の自分に立ちかえるための大きな助けとなり、豊かな実りを得ることができるように思います。