私は北海道のトラピスチヌ修道院で少なくとも1年間以上暮らしてみたい。極寒の中で「祈り、働け」をモットーに日々を過ごしながら、本当の沈黙とは何なのか? 沈黙の世界を身を以って味わいたいのです。
私の修道院は、5時起床 朝の祈り 念祷 6時・ミサ 7時朝食、その後職種によって異なりますが、各事業所で勤務、19時から夕の祈り、究明を含む寝る前の祈り、その後は大沈黙となり、22時には消灯です。
貞潔・清貧・従順という3誓願のもと生活するので時間割も簡素で簡潔です。大沈黙の中では体の休息と共に神様との語らいの時を持つ、これが修道生活の醍醐味です。
神様はどこにでも、いつでもいて語りかけてくださっているのに、聴く側の私が心を静かに沈め、受け取る心構えの姿勢が無ければ、そのメッセージまで辿り着けないと言うほうが正確でしょう。その為の時間と空間を最優先させ、神様の思いを聴くための準備をするのです。疲れていては眠ってしまうので、しっかり眠った後がいいですし、集中できるように整理整頓された簡素な空間と、神様と私だけの時間を整えます。そして沈黙という花のもと、神様が私に望んでいる事は何かを祈れる事は幸いなことです。
祈る為には沈黙が必須条件で、尚且つ日々の生活も切り離せず密着していて、その関係はまるで果物の枝と実のようです。祈りで気づいた事を、実践してみる。その結果いろいろの事が起きるでしょう。失敗し傷つく事もあるでしょう。しかし、神様の望む実をつける事が出来ますし、使命に授かりやすいのではないでしょうか? 神様に使って頂ける以上の最高のものはなく、祈って実行し傷ついても それは美味しい実をつけるための条件なら、そうしたいと思うのです。