母は78歳の時、肺がんの末期と宣告され、余命半年と告げられた。年齢的に手術などは無理なので、自宅療養となった。神様の不思議なあわれみにより、母のがんは、しばらくすると半分になり、2年後に寛解し、その半年後には完治した。がん告知から完治するまで、母は気丈にふるまった。日々、時間との闘いで、ゆかりのある人には多くを語らずいとまを告げ、過ぎゆく時間を惜しむように遺書を書き、亡くなった時に着る着物をそろえて柳ごおりにしまった。
医師から完治を告げられ、しばらくすると母は思いがけないことを口にした。「病気が治っても、若くなるわけではないのだねぇ~」と。加齢のために次第に不自由になる体をもてあましていた。「一日が長い」とも言った。
母は書道を生業としていたので、私は小さな色紙を買ってきて、母に渡した。すると母は筆ペンで聖書の御言葉を書いては私に渡し、私はまた色紙を母に渡すという繰り返しが続いた。色紙は修道会のシスターが喜んでくださるので、折々にプレゼントをした。母は完治から亡くなるまでの6年間にたくさんの色紙を書いた。私の手元には聖書の御言葉を書いた色紙が2枚、和紙で綴じた御言葉手帖、最近になってターシャ・テューダーの言葉を書いた色紙を硯箱から見つけた。
わたしにとって
人生でいちばん大切なことは 心の充足です
与えられた運命 自分が置かれた環境に
満足して生きることです
ターシャ・テューダーの言葉 幽光
母の雅号と落款が押してあった。
年老いて病を癒され、途方もなく長い母の沈黙の時間...、次第に霧がかかっていく日々を受け入れ、何かを待っていた。それは人生を終えること、死の門をくぐり、主の栄光を仰ぎ見ること...。