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沈黙

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 「沈黙の神との向き合い方によって人の明暗が分かれる」。この言葉は私の友人が呟いた言葉ですが、この呟きは、時代、文化、宗教、人種を問わず、人々が心の中で自問自答しているような気がします。

 摩訶不思議な自然現象や理解不能の出来事が次から次へと起きています。これらの現象から感じる不安感が人を苦しめ、暗い方向へと押し流していきます。特に現在、起きている現象や体験の解釈が希望のある明るい解釈ならいいのですが、暗い解釈が何故か横行しています。

 私自身若い頃は「沈黙」を勝手に解釈し、大学の同級生の素敵なお嬢さんに怒られたりしたものです。

 さて、最近しみじみと感謝していることがあります。それは愛そのものである神様が私の目の前に直接現れないことです。

 青春時代は、聖書に神様が現れる場面が沢山書かれていて、それを羨ましいなあ、と感じていました。しかし今は、具体的にあれこれアドバイスする神様よりも「沈黙の神様」が有難いなあと思うようになり、沈黙していてくださったことに感謝している自分に気づきました。

 誕生から今日まで生き延びたこと、これは神様のお陰だなあと感動しますし、生き延びられた幸運は「沈黙の神様」のおかげなのです。青春時代に「沈黙の神」という言葉を教えて下さったドイツの神父さん、「この真理は本当でした」と天国で再会したら心から感謝したいです。

 この言葉のおかげで厳しい人生の色々の場面で、神の愛を私流に自由にのびのびと解釈して生きています。若い頃は、沈黙は恐怖でもありましたが、今は私流に解釈して明るく元気に生きています。相手が人間であれ、自然であれ、神様であっても、この「沈黙に潜む真善美」をしみじみと味わっています。