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沈黙

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 子どものころ、私は植物観察が苦手でした。声も出さず意思表示もせず、黙って伸びたり花を咲かせたりしていて、とりつくしまがない相手に思えたのです。

 ところが大人になって、飼い鳥を通して人間以外の種と心を開いてコミュニケーションを取る楽しさを知った後で植物に向き合ってみると、彼らはけっして沈黙したまま伸びているわけではないことが分かってきました。

 長年仲良しだった鉢植のレモンの木は、私の言葉に応えて毎年たくさんの花と実を付けてくれました。ある年、あまりたくさん実を付けて重たそうだったので、「そんなにがんばらなくていいからね」と言い聞かせたら、次の年は花を咲かせたものの、ほとんど実を付けませんでした。

 「疲れたのかな。でも実がならないとさみしいなあ、そろそろ寿命なのかなあ」と何気なくつぶやいたら、次の年は、「そんなこと、ありませえーん!!」と叫ぶかのように、20数個もの実をたわわに成らせたのでした。「ありがとう。やっぱり実があると嬉しいなあ」というと、その後も適度に実を付けてくれたのでした。偶然かもしれない。でも私は、レモンは私に応えてくれたと思えてならないのです。

 ところで、神様は時として、頑固なまでに沈黙していると感じることがないでしょうか。祈りを聞いてくださっていると信じてはいても、もしかするとあえて応えてくださらないのかも、などとやきもきします。本当に黙っておられることもあるでしょう。

 でも、実はこちらが神様の言葉を聞けていないこともあるでしょう。レモンの木の言葉が聞けたと思えたように、神様の言葉も、予想外の方法で聞けるかもしれない。その希望は失わずにいたいと思っています。