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沈黙

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 「沈黙を聴く」「沈黙に触れる」「沈黙の中で響く」という言葉があります。なぜ静かに黙しているのに、その中で誰かの声を聴いたり、何かに触れたり、何かと響き合ったりすることができるのでしょうか。

 沈黙は単に静かにする、黙っている、何もしゃべらないということではないのかもしれません。私の心の奥深くに沈み込み、そこで出会う神様と語り合うこと。沈黙は私が語るのではなく、深く沈み込んだ心の中にそっとささやきかける神様の声に耳を傾けることなのでしょう。

 預言者エリヤが自分のいのちを狙う敵から逃れ、洞穴の中に隠れていた時、神様は激しい風や地震、火の奇跡を次々に起こされますが、エリヤはそのいずれの奇跡の中にも神様を見出すことはできませんでした。しかし、「火の後に静かにささやく声」を聴いたとき、そこに神様の臨在を知ったことを記しています。(参 列王記上19・1~21)

 物事がうまくいっているときは、神様の恵みや助け、そして聖霊の照らしや導きを信じたくなります。でも、一生懸命やっても物事がなかなか好転しない、災難ばかりが続き、自分の努力がすべて徒労に終わってしまったと感じる時、神様への信頼も弱まり、「神様は私を見捨ててしまった」と思いたくなる時もあるのかもしれません。でもそのような時、ちょっと自分の心を静かに落ち着け、その中に深く沈み込んでいくとき、思いがけず神様の語りかけを聴くかもしれません。

 様々な感情に揺れ動く私の心の中にささやきかける神様の声に耳を傾けてみましょう。神様は、輝かしい名声や人々からの称賛の声ではなく神様の言葉に耳を傾けること、そして、その言葉に信頼し、誠実に生きることを望んでおられるのかもしれません。