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沈黙

中野 健一郎 神父

今日の心の糧イメージ

 修道生活の見習いだった20代の頃、迷いの中で何度も、聖堂のご聖体に向かって祈りました。「主よ、僕は本当にここに呼ばれているのですか」と。しかし何度祈っても、答えは沈黙の中。でも堂々巡りの苦しみの中、只々十字架を見つめると、「わが愛する子よ、あなたがどの道を歩んでも、私は十字架上でいつもあなたとともにいる。あなたは自由なのだよ」と優しく言われているように、沈黙の中で感じました。

 遡ると小学6年の秋、お風呂場で、子どもながらに勇気を出して、父に言いました。「神学校に行きたい」と。元漁師で、荒っぽく頑固な面もあり、せっかちで細々したことには口うるさかった父。でもこのときの父は、私の言葉に、しばらく黙り込んでしまいました。沈黙の後、父は静かに「お前の悔いのないようにせろ」とだけ言いました。そのときの父の思いを、今は推し量ることしかできません。

 しかし、出会う地域の人によく、「私の息子ば知っとるね。神父よ」と話していたと聞くと、父はいつも私の生き方を喜び、応援してくれていたのだと思います。その父は、急に天の父のもとに召されていきました。でも不思議なことに、この世を去った父を今、私は反って一層近くに感じています。

 毎日沈黙の中で、父の思い出がよみがえります。一緒に遊び、寝る前に正座して父と祈ったこと、私に「めそめそするな」と言う癖に涙もろかった父。最近車で送ると必ず「ありがとう」と言ってくれた父。思い出すのは、自分が如何に父から愛されていたかということばかりです。

 神は沈黙の友。今日も祈りの沈黙の中で、父の愛を思い起こすことを通して、天の御父の愛に新しく出会いたいと思います。